僕はフリーランスのエンジニアとして、エージェントサービスや経由して色々な案件に携わってきましたが、それにより、零細スタートアップ企業、渋谷のスタートアップ、ちょっとアブない感じの情報商材系企業など、いくつかの会社での業務を経験しました。
その度に、新しいスキルや知見を得る機会があり、とても良い経験になったのですが、特に印象的だったのは、情報商材系の企業での業務で、その事について書いていこうと思います。
元々「ネットで稼ぐ」という事に強く興味を持っていた
以前、ネットでネオヒルズという言葉が少し流行った時期がありました。
あの与沢翼さんがアフィリエイト事業や高額情報商材で稼ぎまくっていた頃です。
当時はかなり成金趣味的なブランディングでやっていたので、世間のバッシングはすごかったのですが、僕は彼や、彼のビジネスモデルである、ネットビジネスで稼ぐという事に興味が出て、実際過去に少しアフィリエイトをやった事がありました。
PPCアフィリエイトやYouTubeアフィリエイトで数十万円ほど稼げたものの、作業に飽きてしんどくなってやめてしまいましたが、依然ネットビジネスには興味がありました。
そういう事もあり、
「情報商材等のネットビジネス事業をやっている会社が、エンジニアを募集している」
という話を知り合いのフリーランスエンジニアから聞いて、実際に情報商材の会社の中やカラクリが気になっていたし、ここで仕事をしたら知見も得れるのでは、と興味を抱きました。
実際にスキルシート片手にその会社の事務所にアポ無しでいってみると、その会社では、当時情報商材界隈ではそこそこ有名な方が社長をやっていて、直接その本人と話す事になりました。
そういった界隈の方と実際にお話するのは初めてだったのですが、その時に僕が与沢さんについて語った事が彼に響いたのか、ぜひ来月からきて欲しいと言われ、晴れてその会社で業務をする事となりました。
文字通り秒速で億稼ぐ、なんでもアリな社風
現場に入ると、驚きの連続でした。
まず、当時の業界ではそこそこ有名だったアフィリエイトセンターの開発・運用をやっていて、サービスや売上の規模が凄かったのです。
たとえば、プロダクトローンチと呼ばれる当時流行っていた売り方で1つの商品を売るだけで、チャットに売上通知がバンバン飛んで、見る見るうちに億単位の売上となるのを見て、びっくりしました。
また、組織的にうまく機能しており、
・プロモーションを手がける部署
・アフィリエイトセンターを運用する部署(僕がいた部署)
・販売過程で手に入れた顧客リストを運用する部署
・サポートやクレームの窓口をする部署
・お金を支払わない人へ督促する部署(ここの人は強面でめっちゃ怖い!)
と、それぞれの部署が連携し、商材の広告・販売・運用をワンストップで行っていました。
当時、情報商材を組織的に販売している企業は他にもあったと思いますが、ここまで全行程を自社でやっていたのは、多分ここぐらいだったと思います。
なお販売する商材としては、当時流行っていたブックメーカー投資や仮想通貨などといったお金稼ぎ系が殆どです。
技術的な話だと、僕はこの現場で初めてAWSをきちんとフル権限で触る事が出来ましたので勉強になりました。(当時、AWSは結構流行りつつあったものの、まだまだオンプレも多かったと思います)
プロダクトローンチのような、一定期間だけ突出してアクセスが集中するというような状況でも、クラウドのネットワークであれば容易にスペックやネットワーク構成を変更出来るので、とても便利でした。
新規事業で海外へ
売上が尋常じゃないお金稼ぎ系の商材なのですが、売り方や内容的に、この情報商材と呼ばれるビジネスは、世間の評判は良くありませんでした。
それは社長もわかっていたようで、いずれもっとクリーンで世間に認められるビジネスをしたいという思いがあったようです。
そういう事もあり新規事業を作るために、金にものを言わせて、新規事業の試行錯誤や、そのための社員を大量に採用し続けました。
その一環で、VRの事業をやりたいという話が上がり、その為のエンジニアのラボを海外に創りたい、という話が出て、僕もその立ち上げに少し携わる事になりました。
そこで視察のため、フィリピンのマニラや、マレーシアのクアラルンプールに渡航する機会があったのですが、刺激的でした。
特にフィリピンは視察だけでなく実際に立ち上げにも携わったという事もあり、何度か行ったのですが、日本のように街が綺麗なのは高級住宅エリアの一部だけで、ほかの場所はいかにもアジアの発展途上国、といった感じのカオスで猥雑な感じの街並みは新鮮でした。
また、街の色々な所で大規模な工事中が行われていたり、これからもっと発展していくような雰囲気は、エネルギーを貰えました。
その頃からでしょうか。日本をより俯瞰で見れるようになりました。
「確かに日本は平和で落ち着いてる。しかし、どこか刺激がなく、停滞した空気だな。おまけに少子高齢化で将来が暗い・・・」
そんなふうに、いずれ海外に住むのもアリかもしれないと思い始めました。
その後色々あり、売上やビジネスモデルに限界が出始めてきたあたりで、僕はこの会社との契約を終え、社長とは仲違いとなってしまうのですが、僕としてはここで働けた事に感謝しているし、貴重な経験となりました。
そして、僕が去った後もこの会社の売上は低迷し続け、商材や投資先の失敗やトラブルが相次ぎ、最終的に潰れて解散し、社長も海外へ去ってしまったとの事です。
良くも悪くも、1〜2年で濃厚な栄枯盛衰をものすごい速度で見る事ができました。
型にハマらない人生を生きたいと再認識
この会社では、社長をはじめとして、自分でアフィリエイト等独自でビジネスをして稼いでいたり、普通のサラリーマンにはないような「型にハマらない人生」を歩んでる人が多かったです。
勿論、犯罪や人を騙したりするのは良くないのですが、普通の人からしてみたら、「あやしい」とか「胡散臭い」とかそう思われるような事業だとしても、それで人生を謳歌しているのであれば、昔の僕のような我慢ばかりのつまらないサラリーマン人生より100倍ぐらいマシだと思います。
また前述の通り、新規事業の一環で海外にいく機会もあり、この会社で業務をする事により、人生の可能性や刺激を感じる事が出来て、それが今でも糧になっていますし、将来的に海外に移住したいという思いも出来ました。
改めて、僕は起業家として生きていきたいと思い、個人事業主から法人成りをしました。
そして、この会社の財務だった方から、
「知り合いがエンジニアを探しているのだが、話を聞いてもらえないか?」
と声を掛けてもらい、それが今のメインの取引先となっています。